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読書感想ブログ

「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル

人間ってなぁ…。

 

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

 

 色々と人や本との出会いがある中で、定期的に耳に入って来たこのタイトル。

作者が誰か、どんな内容の本かは知っていました。

だから一度は読まなければならないとも思っていました。

 

けれども、この本に書かれた内容を現実として受け入れられるほどには私の感覚は強くなく、そして経験も世界も違いすぎる。

読んでいて周期的に起こった感情は、怒り、嫌悪、苦痛、そしてそれが余りに昂り自分の中でのリアルさが増してくると、(恐らくは自己防衛のためだと思うが)心が少し離れ、まるで酷い映画を見ている様な、映像ははっきりしているのに、痛みや苦しみが偽物の様に感じられて、この登場人物たちは痛いフリをさせられているのであって、本当にこんな苦しみを味わわされているわけではないと思いたくなり、そしてその瞬間にまた

これが現実に起きた事なのだ

という実感が全身を貫き酷い吐き気のような感覚に襲われる。

私がこの本に書かれた事の苦しみを感じる筈が無いのに。

どんなに「恐ろしい事だ」「なんて酷い事だ」「私だったら耐えられない」などと思っていても、それは確実に他人事で、「お辛かったでしょうに」などという感覚にすら疑問を覚える。

 

これは別次元の苦しみだ。

しかしこれが現実だ。

 

そして、一緒にいた人間の死に対しても無感覚になるその究極の極限状態であっても、人は、愛する者とユーモアは忘れないのだなというのもまた、驚嘆させられる事実であった。

 

一番印象に残ったのは上記に挙げた通りで、極限状態で妻と心の中で会話する事で著者は最後の精神崩壊を免れたという事実。

 

その他印象に残った事をいくつか。

  • 完全な善の集団、悪の集団というものは存在しない。カポーや看守の中には少数の人間的配慮を施す者もいたし、収容された人間の中にも悪人に堕ちていく者もいたのだから。
  • 著者が生きて出られた理由が本当に究極の選択というか至極簡単な言葉で言えば偶然が重なった幸運としか言いようがないという事実も凄い。最後は焼死と解放の2択だった訳で…。
  • 1日1日は悪意に満ちた長さ、しかし大きな時間間隔は気味悪い程早く過ぎたという。「収容所では1日の長さは1週間よりも長いと言った時、私の仲間はいつも賛成してくれた」
  • 未来を失った者から死んでいく。
  • 戦争が終わる日を予知夢で見たという男がその日に死んだ。つまり彼にとっての戦争は予言通りに終わったのである。
  • 勇気と落胆、希望と失望の落差の危険性
  • 『人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。』
  • 個人が持つ苦悩を他人が肩代わりする事は出来ない。
  • 苦悩は「抑圧」すべきではなく、苦悩を極めるべきである。苦悩も我々の業績である。

 

 

 やはり人間を簡単に死に至らしめるものは心の死なのかなとも思いました。

人間が生きるには圧倒的に少ない食事しか与えられず、しかもその状態で防寒具もなしに凍った屋外で過酷な肉体労働を強いられ、暴力を振るわれ、衛生面の配慮もされず文字通り骨と皮ばかりの身体になっても尚、ガスかまどに送られるまで多くの人は生きていたのである。

しかしそれも、その人自身の未来への希望がなければならないという。

生きてここを出て必ずや家族と再会するのだ、やり残した仕事を必ずやり遂げるのだ、という極個人的な未来への希望が、如何に多くの者の命をつないだか。そしてそれらを持たないものは悲惨であったと。

そして更に驚くべきは、生きて強制収容所を出られた者の心理にもある。

 

この上ない極限状態であった筈の強制収容所を出られたにも関わらず、その先に起きた周囲の人間関係に対する落胆により、心の苦悩というものは究極がなく、奥底の無い底なしのものであると知るのである。

 

キルケゴールの「死に至る病とは絶望である」という言葉は、確かにこの本を読んでも当てはまるかと思うが何というか観念的な印象を受ける。が、フランクルにとってそれはより実体的なものであったと思う。

 

 しかし戦争下であっても一般市民600万人が殺されたというのは…。

 

如何に思慮を巡らせても、読み切れたとは言い難い1冊であった。

 

 

↓↓新書版も出てるので読み比べてみました。↓↓

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

かなり読み易くなっています。

でもなんというか、若い子に読ませるにはいいと思うんだけどかなり簡潔にさっぱりした翻訳になっているという印象があったので敢えて言い回しが長かったり読みづらい感じが否めない1985年版をおススメしました。読みづらい=繰り返し読んでください…という意味で。

まぁ簡潔な方が感情移入しやすいという場合もあるのでそれは好きずきでいいかと思います。