『泣き童子』宮部みゆき
三島屋変調百物語の第3弾です。
『泣き童子』宮部みゆき 文藝春秋
このシリーズが所謂巷にある一般的な百物語と違うところは、主人公が語り部ではなく聞き手の方であるという点ではないでしょうか。
その為、読者は語り部から話を聞いているおちか(主人公)を通して内容を知る形になるので、伝わり方のニュアンスが独特かなと思いながらいつも読んでいます。
今回収録されている話は以下の6編。
「ちょっと不思議」で終わる話から心温まる話、妖怪バトル物やガチのホラー(怪談)までよりどりみどり全部盛りです!
以下ざっくりと感想。
『くりから御殿』泣けた。亭主の気持ちもしんどいしずっと話聞いてた奥さんの気持ちもしんどい。登場人物みんな良い人で良かった。
『小雪舞う日の怪談語り』普段とちょっと趣を変えて、おちかが外で話しを聞く。
おちかの「話してしまうのがもったいない」っていう気持ちがとても良くわかる。
『まぐる笛』おっかさんかっけぇぇぇぇぇ!!!でも優しい人が犠牲になるのは悲しいですね…。
で、今回はどうしても思った事があるので最後に『泣き童子』のネタバレが絡む感想がありますので、まだ読んでない方はスルーでお願いします。
現在三鬼(三島屋変調怪談百物語シリーズ第4弾)を読んでいる途中なのですが、段々怖い系が増えてきている気がします…。百物語だから当たり前なんだけど。
ーーここからネタバレーーー
「すえきち」が最後に言った
「じじい、おれがこわいか」
という言葉、あれ本当に宮部みゆきすげぇぇぇ!と思いました。
例えばあれが
「じいじ、おれがこわいか?」
だったらどうでしょう。
こう書くと、あの「やましいことを見抜く力」はただの能力であって、すえきちはあくまでもそれを持って生まれただけの、本体はただの人間の子供だったのではないかとも思えます。
しかし、実際に発せられた言葉は上記の通り
「じじい、おれがこわいか」
これはもう、語り部が直感で判断したとおり、
これ(すえきち)はそもそも人ではない。
別の何かであるという証の様な表現だと感じました。
嗤っているのか、怒っているのか、嘲っているのかも書かれていないのに、心の底からどうしようもない衝動に駆られる語り部の心の狼狽がひしひしと伝わってくるほど恐ろしい言葉。
言葉足らずで申し訳ないけど、本当に宮部みゆきって凄い作家なんだなぁって読後しみじみ感じ入ってしまいました。
ーーネタバレここまでーーー