『「無理」の構造ーこの世の理不尽さを可視化する』細野功
まず問題を問題として認識できるようになる…かな。
『「無理」の構造ーこの世の理不尽さを可視化する』細野功
最初に言っちゃいますがこれも「自己責任論」の本です。
- 対称だと思いがちだが実際は非対称である事は多い。東京~大阪間は東京発大阪行きでも大阪発東京行きでもたいして(距離も金額も)変わらないが、善から悪に堕ちるのは一瞬で、町が一瞬で破壊される事はあっても、破壊された町が一瞬で復興する事はない。(対称性の錯覚)
- 具体は実体と直結した実務家の世界、抽象は実体と乖離している学者の世界。(「具体と抽象」の非対称性 お金で上下関係が生まれるのはなぜか)
- 立ち上げたばかりの会社と歴史を経て成長した会社では問題点も必要なものも全く違う。それが理解されないまま議論を交わしても時間の無駄にしかならない(上流・下流の法則 不毛な議論に費やされる膨大な時間)
特に第4部以降の人間の非対称性についての話が興味深かったですね。
- 宇宙と「人間の心」 「絶対的中心」があるかないか
- コミュニケーションという幻想 「言葉の意味」の共有は難しい
- 「公平」という幻想 基準は人間の数だけ存在する
などなど。
頭の中で思っていてもなかなかまとまらなかった事をわかりやすく説明してくれていたので読んでいてすっきりしました。
「どうして自分ばっかりこんな目にあうんだ」
「世の中は理不尽だ」
「そんなの不公平だ!」
「もっと正当に評価してくれないと困る」
と、世の中の理不尽さに不満を募らせ、不公平感を感じている人が読むとその不公平感の根本原因がわかるのではないでしょうか。
ただまぁ自己責任論って、人生全て自己責任であると気づいてる人はもう気づいてる時点で「なんで自分ばっかり…」とか悩まないし、他責まっしぐらの人は気付いていないことに気づいていないから結局気づいてる人が全部被る事になるんですけどねー。
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個人的感想
本の中で非対称である事の例として、『他人の成功は「運がよかったから」と思うが、自分の成功は「実力だ」と思う。失敗は全く逆で他人の失敗は「実力がないからだ」と思い、自分の失敗は「運が悪かった」と思う』って記述があったんですが、これについて私はまったく逆の考えだったから印象深かったですね。
私は、他人の成功は実力だと思ってるけど自分が成功したら「たまたまだ。次はこううまくはいかないだろうな」って思うし、他人が失敗したら「運が悪かったね」って思うけど自分の失敗は自分が一番よくわかってるから「そりゃそうだ。実力ないもんね」って思う。
更に言うと、この考え方自体も否定されることがあってげんなりする。
どういうことかというと、自分の失敗を実力不足だと落ち込んでいると「(成功も失敗も)何でもかんでも自分の実力だと思ってるの?思い上がりもいいとこだ」と。叩きたい人ってどうあっても叩きたいんだよな。
これはこの本の18章(「対等」という幻想 批判する人とされる人の間に横たわるものは)で解説があって何となく納得できました。
でもこれ思いを巡らせると堂々巡りに陥りかねない。
まぁそうやって「別の視点もあるのだ」と常に認識しながらいる事が大切って事なんだろうな。
ただ、この本は全体的に「知識本」であって対処について知りたくて読むにはあまり適さないかなという印象でした。あとがきでも「抽象度を高めています」と書いてありますしね。
あとさ、これ手書きの図解やイラストが少し入っているんだけど、それが絶妙に理解しづらい。わかる様なわからない様な絶妙さ加減で、だったらなくても良いんじゃないか説。本人が描いてるのかな…。